自己紹介

<ユニセフ・フレンドネーションのチャレンジ型プロジェクト>で募金活動をしています。詳細は、上の[リーディングマラソン for チルドレンのページ]をクリックしてください。

2021年8月22日日曜日

リーディングマラソン for チルドレン!

前週、88週目;菅谷 昭「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」、菅谷 昭「チェルノブイリ いのちの記録」、立石 雅昭、にいがた自治体研究所編 「原発再稼働と自治体ー民意が動かす『3つの検証』」、古長谷 稔、食品と暮らしの安全基金「放射能で首都圏消滅―誰も知らない震災対策」、高橋 毅「図解 次世代火力発電-環境性・経済性を両立する実用化への道」、福島原発事故独立検証委員会「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」、清水 修二「原発とは結局なんだったのかーいま福島で生きる意味」、茨木 のり子「茨木のり子集 言の葉 1」「茨木のり子集 言の葉 2」「茨木のり子集 言の葉 3」の計2,524ページ、88週目までの累計は100,779ページです。
 
 菅谷 昭「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故により汚染された土地では小児甲状腺ガンが増えつづけていました。この本の著者である甲状腺専門医の菅谷昭医師は現地の状況を知り、ベラルーシで暮らしはじめます。そこで著者が出会ったのは放射能や病気へ不安を抱えながらも、自分の命を大切にして希望を胸に精一杯生きているこどもたちでした。一番の被害にあっているのは、一部の大人の事情で原子力発電所が作られ事故が起き住む場所を奪われた市民の未来を担う子供たちだと思います。それでも、弱音を吐かずに一生懸命生きている姿にとても感動しました。大人の勝手な事情によって子供たちの夢や希望を奪わないでほしいと強く思いました。

 菅谷 昭「チェルノブイリ いのちの記録」チェルノブイリ原発事故の放射線は甲状腺ガンという病気を近隣国のベラルーシの子どもたちにもたらします。著者の菅谷昭医師は被災地で約5年半にわたり医療支援を続けてきました。高汚染された土地、汚染された土地にある病院、手術、治安問題のなど病気以外の様々な問題にも直面します。現地へ行く日から帰国するまでの活動を記録した貴重な日記でした。過去の過ちから学ぶこと、それが、今を、そして未来を生きる人間が、その過ちによって犠牲になった人々に対してできることだと思います。そのためには「記録」が必要です。何があったのか、その時、人は何を考え、どう行動したのか。そこからしか出発できないように思います。そういう意味で、菅谷さんのチェルノブイリでの活動日記は、東日本大震災に伴う原発事故を経験し、今現在も、そして未来もその過ちに向き合わなければいけない私たちにとって貴重な記録だと思います。

 立石 雅昭、にいがた自治体研究所編 「原発再稼働と自治体ー民意が動かす『3つの検証』」は本の題名のように原子力発電所の再稼働に対して自治体がどのような対応をしたのかが図などを使って詳しく書いてありました。再稼働にも賛否両論がかなり分かれます。原子力発電所を早く再稼働させないとそこで働いていた従業員などが大変だ。という主張や東日本大震災を教訓に再稼働させるべきではないという主張など様々です。確かに、原子力発電所によってこれまでの生活が潤っていた人々にとっては苦しいところですが、事故がもたらす被害を考えたら再稼働するべきではないと思いました。そのためにも、原子力発電所に変わった電力で生活できるように、ほかの発電所を強化する必要があるとも考えました。

 古長谷 稔、食品と暮らしの安全基金「放射能で首都圏消滅―誰も知らない震災対策」はもし東海地震が起きたら…という設定で放射線と原子力発電所の危険性について説明していました。東海地震では首都圏にいる人が亡くなることはほとんどないというのが政府の予測です。しかし、それはあくまでも地震のみの場合です。静岡県にある浜岡原子力発電所(先日、現地を訪問しました)から放射線が漏れた場合、数時間から数日後までに首都圏の人は移住しなければならなくなります。浜岡原子力発電所から約200㎞風下に首都圏が位置しています。大きな事故は起きないと予測はしていてもそれを上回る被害が出ることも十分に考えられます。何が起こるのかは、その時にならないとわからないのです。そんな自然災害の多い日本に原子力発電所という一歩間違えると大事故になりかねないような危険なものを置いているのは、とても危ないことだと改めて感じました。

 高橋 毅「図解 次世代火力発電-環境性・経済性を両立する実用化への道」は原子力発電所に変わる発電所はないのかと思い手に取ってみました。火力発電にも石油・天然ガス・石炭といろいろ種類があります。石油のメリットは電気の需要の急な変化にも対応できることです。しかし、CO₂をたくさん出してしまうなどの問題があります。天然ガスは安定して電気を作ることができます。また、CO₂の出す量も少ないです。しかし、生産国が偏っているため価格などが大きく変動する恐れがあります。石炭は世界に広く分布しているため偏らず、大量の電気を安定して作ることができます。しかし、CO₂をたくさん出してしまったり、硫黄酸化物なども出してしまします。このように、メリットとデメリットはどんなものにでもあります。それを、それぞれの発電所が補っていくことも大切だと学びました。

 福島原発事故独立検証委員会「福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書」東日本大震災から約1年がたった2012年2月28日に「福島原発事故独立検証委員会」は独自に調査や検証を進めていた福島第一原子力発電所事故について「調査・検証報告書」を発表しました。作業員の方のプロローグ、事故被害の経緯、対応、分析など、とても詳しくまとめられてありました。独自に調査してきたからこそ「国民の視点からの検証」をすることができたんだと思います。私たちのあまり知らなかった当時の状況について理解することができました。

 清水 修二「原発とは結局なんだったのかーいま福島で生きる意味」福島は事故により自然や人の心が大きく傷ついています。3.11の事故の以前から原子力発電所に対して反対をし続けてきた福島の論客が、ボロボロになった地域社会や産業などひどい有様を訴えます。原子力発電所事故は取り返しのつかない被害や一生癒えることのない傷を負わせました。将来また人々や地域から未来を奪ってしまうようなことが二度と起こらないようにみんなで声を上げることが大切だと思いました。

 
 茨木 のり子「茨木のり子集 言の葉 1」私が一番好きな詩はP92かあの「私が一番きれいだったとき」です。この詩には「私が一番きれいだったとき」という明るいという表現が何度も出てきますが、そのあとには必ず戦争による悲しい表現が出てきます。
第7連の
「私が一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった」
などこの詩には戦争によって若いときに苦労した茨木さんの当時の悔しい気持ちが表現されていると思います。しかし、最後の連で
「だから決めた できれば長生きすることに」
という茨木さんの前向きな気持ちも表現されていました。「わたし」という誰にでも当てはまる表現をしていることから、茨木さんだけでなく同世代の人たちもこのような感情を戦後抱いていたのではないかと思いました

 茨木 のり子「茨木のり子集 言の葉 2」私が一番好きな詩はP94「友人」です。この詩は散文詩で書かれてありました。この詩には「友人に多くを期待しなかったら裏切られた!と叫ぶこともない」「たまに会って うっふっふと笑いあえたらそれで法外の喜び」という表現が出てきます。友人関係もめることは度々ありますが、程よい距離も大切だということを感じました。逆に、トラブルを通して仲が深まるときもあると思いました。浅い表面だけの友情ではなく深い友情を築きたいと思います。

 茨木 のり子「茨木のり子集 言の葉 3」私が一番好きな詩はP121の「草」です。初めの15連に草の付く熟語や漢字が32個書いてありました。草の付く文字を書き出してみると、日常の様子や疲れも見えたり見えなくなったりしてくるような感じがします。また、「草」は植物なので自然な感じや日本の文化も何となく感じることのできる言葉だなと思いました。